桜ちゃんの神さま

      桜ちゃんの神さま

       (1)

 注文したラーメンが、やっと目の前に置かれたときだった。

「ただいま、入ったニュースによりますと…。本日未明、メソポタの指導者、ハンジー氏が、陰の 五人組に確保された模様です。もう一度、お伝えします…。本日未明、メソポタの指導者、ハンジー氏が、陰の五人組に確保された模様です。詳しいことは、まだ分かっていません」

 アナウンサーの声が上ずっている。鬼気迫った緊迫感がぼくにも伝わる。

「本日未明、メソポタの指導者、ハンジー氏が、陰の五人組に確保された模様です。詳しいことは、まだ分かっていません」

 三度も繰り返すほど、それは大変なことなのだろうか。ぼくは店内を見渡した。十人ほどの客が箸を止めている。

「消息筋によりますと、メソポタのハンジー氏は、夜明けの善会に出かけようとしているときだったそうであります。その前に、黒づくめの五人組がメソポタ中心のアトラス市で目撃されていたという情報もあります。今、詳しいことの確認を急いでおります…。もう一度、繰り返します。本日未明、メソポタの指導者、ハンジー氏が、陰の五人組に確保された模様です。詳しいことは、まだ分かっていません」

 客の箸は止まったままだった。あるものは頭を抱え、あるものは目を閉じている。しかたなく、ぼくも箸を止めた。店の古めかしい雰囲気にしてはうまいラーメンのようなんだけど…。鉢からの湯気がぼくの食欲をそそり続ける。

 テレビでは、ハンジー氏の今までの経歴とその功績を紹介していた。ぼくは耳を立てた。ハンジー氏は、この星の平和を心から願っていた人なのだった。それはぼくにも分かった。

「ウォー!」

 客の一人が立ち上がった。怒りに全身が震えている。

「善はとうなるの?」

 まるまると太った婦人が周りを見渡す。悲愴な面持ちが店をくまなく舐める。

「善はどうなるの?」

 ぼくはその婦人と目が合わないように、ラーメンに目を落とした。ふやける…。そう思ったが、まだ箸を動かすわけには行かなかった。

「新しい情報が、今入りました。ハンジー氏を拘束した五人組から勝利宣言が出されました。繰り返します。新しい情報が、今入りました。ハンジー氏を拘束した五人組から勝利宣言が出されました」

 ぼくにはまったく意味が分からなかった。いったい、この星はどうなったのだ。ハンジー氏が拘束された。それが、そんなに大きなことなのか…。ぼくは、徐々にふやけていくラーメンを見続けた。まだ、一口しか食ってないのに…。

 ぼくは旅行者だ。遥か彼方の星から、ぼくはこの星へやってきた。着いたのは今朝のことだ。時差がまだ抜けていない。朝飯がこのラーメンだ。ぼくは箸を動かすのを我慢し続けた。つばが口の中に大きく広がり、鼻腔を刺激するスープの匂いが恨めしい。

 そう言えば、この地はメソポタのアトラスだ。ぼくの記憶が捲れていく。急速に時差ぼけが解消されていく。それはぼくにとって、ありがたいことなのだけれど…。

 そう、ぼくは地球という星から、この星へ、この地へやってきた。オリオトという星のメソポタという都市のアトラスという街だ。と、言うことは、テレビで、今、報道している事件は、ぼくが今いるこの地で起きていることなのだ。

「陰の勝利宣言の内容ですが、次のようなものです。本文のままご紹介します。

我々は大いなる偽善者に真実を見せた。大いなる偽善者はそれを見て我に返った。彼は引退する。繰り返す。我々は大いなる偽善者に真実を見せた。大いなる偽善者はそれを見て我に返った。彼は引退する…」

 立ち上がっていた男に力が抜けていく。倒れこむように椅子に沈む。

 ぼくはもう一度回りを見渡した。悲痛な思いが店内を包み、そこにいる人たちは皆悲しみを見せていた。

「たった今、犯人グループからハンジー氏の今の映像が局宛てに送られて着ました。えー、少しお待ちください。えー、少しお待ちください……」

 アナウンサーの声が少し震えている。テレビの画面が変わり、ハンジー氏と思われる人物のアップが大きく映し出される。

「犯人グループからハンジー氏の今の映像が局宛てに送られて着ました。えー、少しお待ちください。えー、少しお待ちください…」

 ぼくは恐る恐る振り返った。ぼくの座る席の後ろの大きな窓から店の外の様子を伺った。

 その時だった。店の中に、黒ずくめの男が五人入ってきた。

「ハンジー氏の声明です。犯人グループから今送られてきたものです。ハンジー氏の声明です」

 五人組は全員店のテレビを見入った。何か邪悪な色を含んだものが店の空気を澱ませていく。電灯がプチプチと小さな音を立てていた。

「わたしは五人組に確保された。わたしの意識は完全に善を離れてしまった。もう、わたしのことを指導者と呼ぶのはやめてもらいたい。わたしは善ではなくなった」

 ハンジー氏の声明がテレビから流れる。黒い五人組が頷いている。

 ぼくはゆっくりと立ち上がった。事件に巻き込まれるなんて真っ平だ。そろりそろりと五人組の側を通り過ぎる。みんなテレビに夢中だ。ぼくを咎める人はいなそうだ。

「わたしは五人組に確保された。わたしの意識は完全に善を離れてしまった。もう、わたしのことを指導者と呼ぶのはやめてもらいたい。わたしは善ではなくなった」

 邪悪なものが僕の背を離れていく。ぼくは店の扉に手を掛けた。

「あー、善はどうなるの…」

 また婦人が叫んでいた。ぼくは店を出た。ラーメンの代金を支払うのを忘れた。

     (2)

「ちょっと、ちよっと…」

 それが、ぼくを呼んでいる声とは思わなかった。店を出て、商店街らしき道を歩いているときだった。街の様子が少し変なように思っていた。人の声がほとんど聞こえなく、妙な沈黙だけがあった。あのラーメン店のように、ハンジー氏の事件でみんなが落ち込んでいるのだろうか…。ぼくは何か居心地の悪さを感じていた。

「ちょっと…」

 後ろから背中を叩かれた。ぼくは一瞬飛び上がった。振り返ると、おかっぱの少女がいた。

「く・い・に・げ」

 少女はぼくを見上げてそう言った。堂々と透き通った瞳がぼくを貫いた。

「食い逃げ…」

 それで思い出した。あー、ラーメン代…。

「あたし、払ってきてあげる」

 少女は言った。鈴を転がしたような声だった。ぼくは無理に笑みを作り、少女が言った額を財布から出した。

「ドサクサで忘れちゃったのね…」

 先ほどのラーメン店での婦人の言葉を思い出した。善はどうなるの…。

「それとも、本当に食い逃げするつもりだったの?」

 ぼくは善の欠片を少女に手渡した。少女が笑った。善はどうなるの…。ぼく自身の善がどうなるのか…。ぼくは曖昧に食い逃げの行為の言い訳を探した。

「お金を払わないのは悪だね…」

 少女はそれを聞いていなかった。瞬間にきびすを返すと、来た道を突風の如く戻っていった。ぼくは少女の後姿に軽く礼をした。僕の善に、ひとつ汚点が付くところだった。

 しかし…、ぼくはふと思った。少女に騙されたのか…。少女がラーメン店に駆けていったとは限らない。善はどうなるの…。ぼくの脳裏に善と悪が白と黒との色で入り混じっていく。あの少女が悪? いや、そんなはずがない。あの透き通った瞳に悪は見えなかったが…。あー、善はどうなるの…。

「おつり…」

 少女はすぐに戻ってきた。透き通った瞳が再びぼくを貫いた。

「昼の時間は一割引きだって、あたし知らなかった…」

 安堵がぼくの脳裏の色を消した。白と黒とが仲良く消えていった。

「でも、びっくりした。あの店に来た黒い五人組。あの人たちがハンジーさんを?」

 僕は少女に礼を言った。お釣りをあげると言っても、少女はかたくなに受け取らなかった。

「名前は?」

 ぼくは恐ろしいほど人恋しくなっていた。少女の瞳を旅の思い出の一つにしようと思った。

「桜!」

 躊躇いなど欠片もなかった。少女は誇らしげに自分の名前を嬉しそうに叫んだ。

「春になったら、満開よ…」

 ぼくは笑った。何ヶ月ぶりに心の底から笑った。

「ぼくは春夫…。春になっても花は咲かないけど…。よろしく…」

 桜ちゃんの家は、その商店街で食堂を営んでいた。ぼくは食べ損なったラーメンの変わりに、桜ちゃんのおばあさんが作ったてんぷら定食を食べた。飛び切りうまかった。

「そうなんだ、ぼくの星とそっくりだ…」

 桜ちゃんは、ぼくにいろんなことを聞かせてくれた。ぼくと桜ちゃんは仲良しになった。

「悲しいね…」

 桜ちゃんの話によると、今、この星は過渡期にあるようだ。ぼくの星がそうだったように…。

 星の人々は争いを繰り広げ、エゴがエゴとぶつかり合い、醜い争いが繰り広げられてきた。人々は戦いに明け暮れ、自分を見失い、星を汚していったのだ。権力と権力がぶつかり、弱いものを蹴散らした。生きるという優しさの根源が蔑ろにされ、生きるということ自体が争いとなり、人を傷つけることでしか生きていけない世になっていった。

「でも、神さまは、いつもあたしを見ててくれているの…」

 しかし、この星には独特の歴史があった。それは、争いがおこる以前に遡る。

「あたし、神さまを信じてる…」

 科学の発達していない時代、この星の神々がまだ存在していた時代…。

「神さまを信じてる…」

 この星の神話にこういうのがある。誰でも知っている一番有名な神話だそうだ。それを桜ちゃんが聞かせてくれた。ぼくはてんぷらを食べながらそれを聞いた。意識がタイムスリップして、目の前のてんぷらとのギャップを不思議に思い続けた。

 桜ちゃんが聞かせてくれたこの星の神話とは次のようなものだ。ぼくの星にもありそうな神話だった。

 むかし、神さまが五人いた。それぞれ、あんまり仲良くなかった。なぜだか分からないそうだけど…。

 ある時、大きな桜の木に一枝だけ花が咲いた。国人たちは、それを不吉な木とした。

 国人は神さまに祈った。ほかの枝にも、花を咲かせてくださいと…。

  すると、神さまは国人たちに約束した。木を桜の花で満開にすることを約束した。

 神さまは、ひとりずつそれに挑んだ。神さまは、みんな仲が悪いから、ひとりずつ…。

 しかし、どの神さまも出来なかった。いくら手を尽くしても、他の枝には花が咲かなかった。

 春が過ぎ、その一つの枝の花も枯れてしまった。国人は神を信じなくなった。神を恐れなくなった…。

 次の春、また一つの枝だけに桜が咲いた。五人の神さまは、その枝の下に跪いた。

 すると、枝の花は言った。

 我は悪だ。それを、この国の人々に見破られた…。

 国人たちは知っていた。不吉な木は悪だと。悪が野に放たれようとしている。一枝の花に悪が蠢いている、と。

 神さまたちは驚いた。国人たちの善の力に…。

 そして、国人たちはいった。神さまよ、五人、みんな、手を合わせてください。みんなの、心を一つにしてください…。

 そうすれば、この世に悪の花が咲かなくなります…。神さまたちよ、心を一つにしてください…。と。

 そうして、五人の神々はひとつになった。国の人たちの思いもひとつになった。

  花は咲いた。桜の木は、見事なほどの満開を国人たちに見せた…。

 五人の神さまは国人の信頼を取り戻した。もう神を恐れないものなどいなくなった。

「それから、この星の人たちは、五人の善が寄ると、ひとりの悪の魂を浄化することが出来ると信じたの。人々はそれを疑うことなく実践してきたのよ。この星は平和だったのよ…」

 神話が終わると、桜ちゃんはそう言った。その時、桜ちゃんの瞳に、悲しさが微かに陰となった。桜ちゃんは可愛く、美しく、そして、聡明だった。

「春夫くんは神さまを信じる?」

 桜ちゃんが続けた。鈴が転がるような声が続いた。

「うん、信じている」

 桜ちゃんが笑った。いい笑顔だった。

    (3)

 つまり、こういうことだった。

 この星の人々は、五人の善が寄ると、ひとりの悪の魂を浄化することが出来ると信じ、それを疑うことなく実践してきた。この星は平和だった。五人の善が寄れば、そこに争いなど起こらなかった。みんな、神を信じ平和な時代をすごしてきた。

 しかし、時は流れる。神話を信じるものが少なくなっていく。神をおろそかにするものが増えていく。科学が世の中を便利にし、非合理的な神の存在など忘れ去られていった。人々にエゴが芽生える。争いがおこる。戦争が勃発する。

 星はそんな争いに包まれていった。しかし、争いを好まない人たちが立ち上がった。争いに善の意識で立ち向かったものがいた。それが、テレビのニュースでやっていたハンジー氏なのだ。ハンジー氏は神話を蘇らせた。この星の美しい歴史を、その文化である神の存在にて取り戻そうとした。

 人々は忘れ去っていたことを思い出した。星に暮らす人々は、自分たちの意識の奥底にある神への畏敬を、いにしえの時のように心の表面に浮かび上がらせた。人々は善を思い出した。神話を思い出した。

 それは、綿々と人々の心の奥底の魂にしかと生きていた。時代を超え、世紀を超え、時空を超え生きていた。

 ハンジー氏は善の人たちを指導した。あの神話に従った。人々は善五人組で各地を回った。

驚くほどの悪がいた。しかし、善たちは根気よくそれを続けた。悪ひとりを善五人が包む。すると、悪が善になる。更に、悪を五人が包む。すると悪がひとりなくなり、善がひとり増える。

 それで、世の中はよき時代に戻るはずだった。しかし、悪も黙ってはいなかった。

 悪の五人が善ひとりを包んだ。すると、善が悪になった。神話に別バージョンがあったのだ。神は善にも悪にも平等だった。

 そうして、善と悪とが入り混じった鬼ごっこが拡がった。各地で善と悪との取り合いが大きくなっていった。

 そんな時に、ぼくはこの星へついたのだ。あの占い師が言ったことが脳裏に浮かび上がる。

「若者よ、オリオトという星に行きなさい。星は傷ついています。そして、星は変化を迎えようとしています。若者よ、あなたは、その星へ行きなさい。星は変化を迎えようとしています。変化を望んでいます」

 その占い師は更に言った。ぼくの意識にそれが大きくのしかかった。

「あなたには使命があります。星の変化に、あなたは立ち会わなければなりません。それがあなたの使命です」

 占い師は真剣だった。今にも倒れそうな雰囲気で、ぼくにそれを告げた。

「それが、あなたの使命です!」

 占い師は泣いていた。よほどの感激に占い師は包まれていたのだろうか、ぼくには何が何だか分からなかった。

「神を信じなさい!」

 恐ろしいほどのでかい声でだった。占い師は、そう叫んで本当に倒れてしまったのだった。

 だから、ぼくはこの星へ来た。旅行だ。あの占い師を信じたわけではなかったが、神を信じていた。

 けっして、占い師の言った使命などではない。ぼくはただの旅行者だ。

「春夫くんの信じる神さまって、どんな神さま?」

 桜ちゃんがぼくを我に返してくれた。そのままだったら、あの占い師の言ったことの理解が進んでしまっていたかもしれない。あるはずのない、ぼくの使命とやらを信じてしまったかもしれない。

 それは、ごめんだよ…。ぼくは旅行者なんだから…。

「ねえ、どんな神さま…」

 ぼくは懸命に質問の答えを探した。どんな神さま? そんなこと、今までに聞かれたことはない。

「神さまは、ぼくの心の中にいる」

 桜ちゃんの顔にすっーと光が登った。ぼくの答えが気に入ったようだ。

「ステキ…」

 桜ちゃんの瞳が遠くを見る。瞳の奥に光がいくつもクロスしている。

「ねえ、公園の桜を見にいこうよ。つぼみが大分膨らんでるの…」

 桜ちゃんは大きな笑みのまま、店を出ようとした。その時に、あの五人組が店の窓に見えた。ぼくは咄嗟に桜ちゃんの腕を掴もうとした。しかし、遅かった。桜ちゃんが店を飛び出した。

「桜ちゃん!」

 タイミングが良すぎた。桜ちゃんは黒い五人組と鉢合わせすることとなった。ぼくも店を飛び出した。善が悪に囲まれてしまう。

「桜ちゃん!」

 それから、ぼくが一体どんな行動をしたのか全く覚えていない。気が付くと、ぼくは黒い五人組に周りを囲まれていた。

「桜ちゃん!」

 大きく叫んだが、桜ちゃんは見当たらない。五人組の輪の中にはいない。ぼくは少し安堵した。冷静さを取り戻した。

 陰の五人組がぼくを取り囲んでいる。悪が五人寄れば善をひとり悪に変えることが出来る。桜ちゃんに聞いたこの星での出来事が、今、ぼくにも降りかかろうとしているのだ。ぼくは五人組の輪から飛び出そうとした。でも、五人組はこれを拒んだ。

「うっ!」

 その時だった。ぼくの脳裏に涼風が吹いた。春を呼ぶ南風のようだった。

「善…。悪…」

 桜ちゃんと出合った時、善と悪が僕の中で揺れた。それと同じものが、再び僕の中で大きくなっていく。

「善はどうなるの…」

 ラーメン店での、あの婦人の声が木霊する。ぼくは頭を抱えた。ぼくに吹く涼風が遠くなったり近くなったりしている。

 善…。悪…。

 ぼくは今の今まで、自分はそのうちの善のほうだと思っていた。そう、ぼくは善人だと信じて疑っていなかった。しかし、今のぼくはそのことに揺れ始めていた。はたして、自分は本当に善なのだろうか…。涼風が近くなるに連れて、ぼくの自信が薄くなっていく。善が遠くへなっていく。ぼくは悪なのかもしれない…。そんな思いがぼくを包んでいく。

 そもそも、善と悪の区別など必要なのだろうか…。善が何で、悪が何なのだ…。

 ぼくは揺れ続けた。テレビでやっていたハンジーという人も、五人組に囲まれて、今のぼくのこのような状態にさせられたのだろうか…。何かの見えない力がぼくを押しつぶしていく。

「不思議だ」

 五人組のひとりが言った。ぼくに吹く涼風の方向からだ。

「厄介な野郎だ、この男は…」

 少し涼風が遠くなった。五人組の輪が少し乱れた。

 ぼくはこの星のものではない。この星の人たちのように、あの五人の神さまの神話は知らなかった。魂の奥底に、その神話は根付いていない。意識や記憶の表にも裏にも、それは存在していない。だからなのか。それとも、ぼくは善でも悪でもないのだろうか…。涼風が更に遠くなる。それに変わって春風が押し寄せる。

「だめだ…。こいつは」

 どういうことなのだろう。五人組の輪が解ける。何事もなかったように、五人組がぼくから離れていく。

「……」

 どういうことなのだ。ぼくは遠ざかる五人組に声をかけようとした。しかし、言葉が出なかった。何を言ったらいいのか分からなかった。

「春夫くん…」

 桜ちゃんが戻ってきた。恐る恐るぼくの顔をみる。

「大丈夫だった?」

 ぼくは頷いた。全身に鳥肌が立っていた。

「桜ちゃん…」

 ぼーと、突っ立ったままのぼくだった。桜ちゃんが、ぼくの手を握ってくれていたのも気付かなかった。

    (4)

「星の変化に、あなたは立ち会わなければなりません。それがあなたの使命です…」

 占い師の言葉を、また思い出していた。ぼくは、桜ちゃんの店の二階で少し休ましてもらっていた。

「星の変化に…」

 ぼくは意識を魂の底に静めた。ぼくの内面を深く潜った。

「善と悪」

 ぼくはぼくの中の善と悪の境界線にたった。右側には白い馬、左手側に黒い馬がいた。

「パルル、パルル…」

 白い馬がぼくを呼んでいた。ぼくは馬に微笑んだ。ブルブルっと、馬も微笑を返してくれた。

「よしよし、いい子だ」

 ぼくは白い馬の背にまたがった。ぼくは勝手に決め込んでいた。白い馬は善の馬と…。

 黒い馬がそれを見て、天に駆け上る。韋駄天振りをぼくに見せる。ぼくが激しくなっていく。

「パルル、パル…」

 白い馬がもう一度何かを叫ぶ。ぼくのボルテージが何故だか勝手に上がっていく。白馬にその興奮が伝わっていく。

「オー!」

 ぼくは叫んだ。白馬が天を駆けていく。黒い馬を追い越していく。

「オー!」

 そのまま、ぼくは夢に落ちていった。遥か後ろにオリオトという星が、青く美しく見えていた。

「春夫くん…」

 しばらく眠っていたようだ。ぼくの目の前に桜ちゃんがいた。

「大丈夫だった…」

 心配そうに、桜ちゃんがぼくの顔を覗き込む。ぼくは身体を起こし、窓際の椅子に座った

「桜ちゃん…」

 その時、ぼくは自分の使命というものが、ぼくの中で朧気に蠢き始めているのを感じていた。全身に漲っていくパワーを感じていた。

「ぼくには使命があったんだ。だから、ぼくはこの星へ来たんだよ…」

 桜ちゃんに、ぼくの今の気持ちを話した。桜ちゃんだったら、それを分かってくれると思った。

「五人組に囲まれたよね。でも、ぼくは大丈夫だった。五人組は言った。こいつはだめだって…」

 蠢き始めたぼくの使命を、ぼくは抑えることをしなかった。あの白い馬が天に駆けたように、ぼくの使命も天に駆けていく。

「桜ちゃん、ぼくにこの星のことをもっと聞かせて…」

 桜ちゃんは頷いた。ぼくの目の前にちょこんと胡座をかいた。

「遠い星から、神さまがやってくるんだ。この星に平和を運んでくれるんだ…」

 おじいちゃんが優しく話してくれた。あたし、その話が大好きだった。

「善と悪の争いはずっと続くわ。だって、それってキリがないでしょう」

 ママが言ってた。善と悪のつかまえっこは終わりがないって。

「でも、遠い星から、神さまがやってくる」

 あたし、信じてる。遠い星の神さまを信じてる…。

 ぼくは遠い星から来たよ。

 でも、ぼくが神さまなわけがない。でも、でも…。

「春夫くんの信じる神さまって、どんな神さま?」

 桜ちゃんの質問に、ぼくははっきりと答えた。

「神さまは、ぼくの心の中にいる…」

 桜ちゃんの話は続いていた。善と悪のつかまえっこは延々と半世紀を超えようとしていた。善が有利になっても、すぐに悪が持ち返す。悪が一斉攻撃をかけてきても、善もやり返す。堂堂巡りだった。今の勢力はおおよそ五分。一千万人対一千万人。何年経っても、それは変わりなし。つかまえっこを、しようがしまいがそれは同じ事なのかもね…。

 一度に五千万人の善がいたら、一気に問題は解決するんだけど…。算数の問題みたいね…。桜ちゃんは寂しそうだった。

 ぼくは遠い星から来たよ。

 でも、ぼくが神さまなわけがない。でも、でも…。

「春夫くんの信じる神さまって、どんな神さま?」

 桜ちゃんの質問に、ぼくははっきりと答えた。

「神さまは、ぼくの心の中にいる…」

 一度に五千万人の善がいたら、一気に問題は解決するんだけど…。

 一度に五千万人の善がいたら…。算数の問題みたいね…。

     (5)

 白い馬にはぼくが乗った。黒い馬に神さまが乗った。春風がぼくたちを擽る。

 ぼくは地球へ降り立った。でも、ぼくの旅はまだまだ続く。ぼくは自分の使命を詰め込んだ風呂敷包みを大きく広げた。春風がそれを四方に運んでいく。ぼくは馬から下りた。ぼくの神さまも馬から下りた。

 ぼくは地球に生きた。そして、その生を全うした。それが、ぼくの永い旅の始まりだった。ぼくは物質の生を超え、黄泉の世界へ流れた。この世からあの世へ生活の場が変わった。

 最初の頃は、この世への未練と、家族との別れの悲しみを引きずっていた。でも、そんな思いは、あの世に吹く春風が、じわっとゆっくりと溶かせてくれた。ぼくは生命の偉大さに気付いた。神の存在を信じた。

 ぼくは、この世の人から見れば幽霊だ。幽霊だからどこへでも旅が出来る。ぼくたち幽霊は、この世以外のいろんな宇宙と繋がっている。時空を超え、どこへでも宇宙の旅が出来る。この世の人は幽霊が見えないようだけど、宇宙は広い。あの星のようにぼくたちが見える星も多いんだ。つまり、ぼくたちは、意識で思い浮かべた場所へいつでも行けるんだ。物質という足枷がない分、幽霊たちはこの世の人たちより自由だ。慣れれば、生命の喜びを謳歌することが出来る。ぼくたちの生命は永遠なのだ。

 ぼくはあの星で五人組に囲まれた。でも、ぼくは悪にはならなかった。少し悪に傾きかけたけど。それは、その時は忘れていたけど、ぼくが幽霊だったからなんだ。幽霊はすべての煩悩の浄化を済ませている。あの世に吹く春風が、ぼくたちを平和な思いに包んでくれるんだ。争いなど起こらない。なぜならば、ぼくたちは生命の重さを知っている。偉大さを知っている。春風は優しさだけを運んでくれている。そして、それぞれの心に神が宿っているんだ。

 だから、ぼくはもう一度あの星へ戻るんだ。

「一度に五千万人の善がいたら…」

 桜ちゃんはそう言った。だから、ぼくは、もう一度、桜ちゃんのもとへ戻る。五千万人の幽霊とともに。

 あの星は平和を取り戻すことだろう。そう、ぼくたちの地球のように…。

 ぼくは、あの占い師のところへ向かった。大勢の幽霊がぼくを待っているんだ。白馬がぼくの頬を舐めた。黒い馬が神さまを探していた。

「桜ちゃーん!」

 街の人たちの目玉が飛びたした。腰を抜かしている人もいる。

「桜ちゃーん!」

 ぼくは叫んだ。ぼくの後ろの大勢の幽霊たちも大きく叫んだ。

「春夫くん!」

 桜ちゃんが笑ってる。飛び切りの笑顔だった。ぼくは白い馬から降りた。桜ちゃんがぼくに飛びついた。

「待ってたよ、春夫くん!」

 花吹雪が舞う。人々の歓声が街を包む。色とりどりの幽霊たちが、それぞれに踊りだす。

「ヤッホー!」

 桜ちゃんがぼくの手を引いた。瞳の光がぼくに眩しい。

「春夫くん、こっち!」

 桜ちゃんは思い切りぼくを引っ張った。よく見ると商店街のアーケードに、ぼくの名前の垂れ幕がいくつも垂れている。

「桜、満開なの!」

 ぼくは桜ちゃんと歩を早くした。アーケードの向こうに満開の桜が見える。

「すごい、満開だ。思い切り満開だ!」

 それは、小高い丘を赤く染めていた。これ以上ないほどに膨らんだ一枝一枝が、それぞれに生命を謳歌していた。美しく遥かな宇宙に精一杯生命を誇っていた。

「桜ちゃん!」

 ぼくは満開の桜に、この星の神話の神さまを探した。五人の仲の良い神さまたちを探した。

「春夫くん!」

 満開の桜の中に神さまはいなかった。でも、となりに桜ちゃんがいた。桜ちゃんが神さまに見えた。

「桜ちゃん!」

 ぼくは桜ちゃんの肩を抱いた。五人の神さまが、桜ちゃんの瞳の中に見えた。神さまたちは、仲良く手をつないでいた。ぼくに優しい笑顔をくれていた。

                                               桜ちゃんの神さま    完